IE9ピン留め

『タウンライツ HIVを巡るぼくらのストーリー』iPhone/iPadアプリ電子書籍



僕が書いた『タウンライツ HIVを巡るぼくらのストーリー』が、2011年9月20日に電子書籍で発売になりました。

新宿2丁目にあるコミュニティセンターaktaが発行するマンスリーペーパーに連載されている短編小説を収録したものです。

ゲイの間におけるHIVの話を描いた物語。
12のストーリーと、あとがき+参考文献を収録しています。


購入方法は、iPhone/iPadの無料アプリ「みんなの本屋さん」をインストール後、アプリ内のカートをクリックして、アドオンで「タウンライツ」を購入(期間限定170円)してください。試し読みもできます。

アドオンで買うってのがひと手間ですが、いまのうちに買っておくと期間限定で安いし、今後アップデートで内容が追加される予定ですので、損はありませんよ! ぜひよろしくお願いします。

ずいぶんこのブログ放置してたけど、これからは告知がてら更新していきます。


◎収録作品(短編全12作+あとがき)

・地球を僕の手の上に
・トンネル
・百合のある部屋
・祝日
・RE:story
・コンプライアンス/アドヒアランス
・公園
・仕事場
・ブランコをこいだ日
・桜の記憶
・病室
・あとがき HIVの基礎知識/参考文献


【関係リンクなど】

■コミュニティセンターakta
http://www.akta.jp 
タウンライツの連載は、現在もマンスリーペーパーにて連載継続中です。マンスリーペーパーのバックナンバーはこちらでも読めます。
■カナカナ書房
http://kanakanabooks.com/
電子書籍出版レーベル。タウンライツはここから出してます。
■古田靖さん
BLOG「適宜更新」http://tekigi.hiho.jp/blog/
編集してもらいました。
■藤本晃司くん
http://li-lux.com/
縁あってイラスト&デザインをしてもらいました。実は小学校からの幼なじみ。
■藤丸心太on Twitter
http://twitter.com/fujimarujinta
最近はもっぱらこっちです。

# by bogdog | 2011-12-31 00:00 | 電子書籍

町のおやつ、あります。『おやつ手帖 東京編』(エルマガジン社) 

ガリガリ君が品切れで死にそうな東京からお送りしています。お元気ですか。生きてます。
ちょっと発売から時間が経ってしまいましたが、エルマガジン社から、新しいムック本がでました。


おやつ手帖—洋菓子、和菓子、ひんやり&あまパンも、東京スイーツ大全! (えるまがMOOK ミーツ・リージョナル別冊 東京篇)

洋菓子、和菓子はもちろんアイスクリームやかき氷など、年中恋しいひんやりスイーツ、たっぷりクリームの入った甘パンまで、甘いもん好きにはたまらない東京スイーツ大全! 新店から老舗まで、わざわざ足を伸ばして食べに行きたい街のお菓子がたっぷり登場します。お取引先や訪問先への手みやげ選びにも使えるとっても便利な完全保存版! 是非一度ご覧アレ!
(HPより引用)

定価780円(税込)
表紙は竹之内祐幸くんです。

「まちのおやつ」って感じのあまいものが乗ってます。
おしゃれでお高いスイーツじゃないのよ!


ふかふかのホットケーキ!


渋谷のカフェのシフォンケーキ! 
うっとりするアップルパイ!


神楽坂エリアのさんぽマップ。ドーナツにまんじゅう、ハチミツ!

などなどー。
個人的には、三軒茶屋のかき氷とかおいしそう!

ほんわかしみじみしたあまいものと、
力強い見出しと、いい雰囲気を伝えてくれる写真たち、おそらくかなりテンパリ気味でテンションが無駄に高いライティング、などもお楽しみください。読むだけなら0カロリーですって。

首都圏のコンビニ、書店に置いてるので、みなさんよかったら一度手に取ってみてください。

以下のサイトで立ち読みもできます。
http://www.lmagazine.jp/magazine/mook/issue/current_issue/meets-add.html

# by bogdog | 2010-08-17 15:07 | お仕事しました

『白井弓子初期短編集』 レビュー


白井弓子初期短篇集 (IKKI COMIX rare)

穏やかな樹冠で育った少女たちも、いずれは幹に降りねばならない。成人式のその日に。そういう決まりである。(略)急がなくては。「夏」が来るまでにこの「樹」を一周して戻ってこねばならないのだから。
(『白井弓子初期短編集』「成人式」より)


ひとくちにSFといってもいろいろあるけれど、著者の白井さんは、「SF的な世界で生きる人間」を描く。
SF世界だけじゃないし(設定に凝りすぎると、世界だけで終わってしまうというのも多々ある)、物語だけのプロットのほうでもない。「SF世界で」「生きる人間」だ。

「成人式」では、「大人」になるために旅をする少女たちが描かれる、旅の途中で恋をして、結婚し、子どもを産み育てもする。「大人になりたい!」という希望(あるいは本能?)が少女たちを突き動かすのだけれど、いつしか倦怠と失望も色濃くなっていく。「いつも間違える。いつも失敗する」。嘆きながらも、「それでも大人になりたい」と過酷な旅を続ける。「大人」の意味が、ここでは微妙にぼくらが使ってる言葉とは別の意味になっているんだけれども(ここらへんがSF的にぐっとくる)、ひたすらに未来へと旅のゴールを目指す姿は、生命の燃焼ともいうべき生々しい美しさを持って迫ってくる。

この短編集では、「成人式」などの直球SF話のほかに、美大生ものの連作と、おそらくは著者の体験を元にしたであろう子育ての話が収録されている。子育てのお話といっても、子供の大きさに宇宙の大きさを感じたり(「赤んぼ遠近法」)、水の中で暮らしていた水生人間の夢が出て来たりして(「アクア」)油断ならない。
ここからすぽんと違う世界に飛んで行ってしまうような夢想と、赤ちゃんをだっこした時のような肌に伝わる感覚がシンクロするこれらの子育てものの話は、体温を持って旅情的な美しさを持つ。育児の話でこんなに感動するなんて思わなかった。ぼくは男で、子供を産むこともないけれど、世の中の母親は少なからずこうした幻想的な世界を、子育てのふとした瞬間に感じてるのかもしれないと思うと、とたんにすべての母親/こどもたちが愛おしくなってくる。

美大生ものの連作は、美大生の女子、高橋の秘めた恋を主題にした「Touch」。
同じ課の田畑に対して、秘めた恋心を抱きながら、絵を描き続ける。
似顔絵を描いてあげる、と、絵描きとモデルとして、高橋と田畑と向き合う。田畑には恋人がいる。けれどこのときだけは、高橋は想像の中で田畑に触れることができる。けれど田畑の心は……(「touch」第一話)

目で見て、心で捉えて、そして手で描かれる。身体的にも心理的にも対象と触れ合う「描く」という行為に対して、実際に触れ合うことも、想いを伝えることもできない。絵に秘めた恋心が、白井弓子氏のたしかな筆力で描かれる。5話のラストの一コマは見事! 

「touch」では、絵を描く人の苦悩も描かれる。

高橋は、合評会に女神を描いた作品を出す。そこで、絵にこめた物語を語る。
しかし、その絵は教授に酷評され、言い返すことができない。

教授「ふーん…ってかんじ? メルヘンだねえメルヘン 君、将来絵本作家になるの? しかし正直言ってそれがどうしたの? って感じだね 結局何が言いたいのかなーっていうかなんいもないわけよこっちに来るものが。本物の神話は生々しいよ結構 読んだことあるの? 若いんだから勉強しないと! うすっぺらい「おはなし」ばっかりじゃねー…」
( 「touch」2話 光の矢 より)


巻末に収録されている、高橋の高校時代、美術部の話にも同じ様なシーンが描かれる。
高畑はただ絵を描いていたくて、誰よりも長い時間、部室で絵を描いて過ごす。しかし、予算委員会で部費が減らされることを告げられ、涙を流す。

「この一年間実績がないでしょ まったく 美術関係えは様々なコンテストがあるはずですが 入賞したという話は聞きません。聞けばおおかたらくがきしたり、ガンダムを描いたり遊んでばかりいるそうですね?」

「あの……あの、思うんですけど、絵とかそういうのって、勝ったとか負けたとかはっきりわかるものじゃないし…賞だって審査員の主観…とかあるし…らくがきだって…遊んでいるように見えても…練習に…なるし…だから……………」

( 「予算折衝」より)


どれだけ想いを秘めていても、絵は値踏みされ、評価されてしまう。

生徒会から部室に帰る道、渡り廊下で「見ろよ、部長が描いてるみたいにきれいな夕焼けだぞ」と副部長に言われても、夕焼けを見あげることができない。美しいはずの夕焼けを、美しいままでいたいという純粋な思いが踏みにじられたと思ったんではないだろうか。ナイーブだ。
それでも、夕焼けはやはり美しくて、高橋は絵を描きつづけることを選んだ。強いな。美大生になった高橋も、傷つきやすい想いを抱いたまま、絵を描き続けているんだ。

でも、美大の先生が、「おはなし」と見下して、思わず泣いてしまったあの弱さは、それは決して失うべき心ではなかったのだと、5話のラストの一コマで思った。ほんといいんだよあのコマ。迷いながら生きてた中学生のころの自分に見せたい。(ぼくは絵は描いてないし、帰宅部だったけど。)

あとがきがまた、よかった。

「(略)時に漫画自体ほとんど描けなくなり、やめてしまおうかと思う様な時も、とにかく数ページ、数ページとイメージをつむぐ場所があったこと。それが私をここにつなぎ止めているように思います。」(あとがきより抜粋)


なんだか、すっごく胸に響くものがあった。
これはぼくのいち漫画読みとしての勝手すぎる願望なんだけれど、漫画を描く人はみんな、ずっと漫画を描いててほしい。そりゃあ生活とか大事だったり、つらいことたくさんあるだろうけれど、『バクマン。』みたいにトップを争わなくても、自分の世界を大事にして、少しずつ、つむいで行ってほしいんだ。だって読みたいもの。
そういう意味で、この本は、このあとがきは、胸に響いた。


さて、白井弓子さんは、現在、月刊IKKIでWOMBS 1 (IKKI COMIX)
という、第一移民の"ファースト"と第二移民である"セカンド"と交戦中の移民星で、子宮に謎の生物を宿し、テレポーテーションする力を得た女性部隊を描いた、ど直球SF漫画を連載しているので、こちらも是非!



著者、白井弓子氏のサイト【弓工房】
このブログで触れた「赤んぼ遠近法」などの漫画も読めます。オススメ。

IKKI公式サイト イキパラ試し読み
Touchの一話が読めます。

# by bogdog | 2010-07-26 00:30 | この漫画がスゴい!

Living Together Lounge Vol.65

(5/5、新宿二丁目のLTラウンジというイベントに出演しました。これは、HIVの当事者やその周りの人たちが書いた手記を朗読し、コメントしてHIVを自分の言葉で語るという朗読とライブのイベントです。ここに掲載しているのは、自分のコメントの採録です。記憶で書いたので、ステージで言ってないもあります ※『砂漠に吹く風』の台詞、帰ってからあらためて読んでみたら、微妙に違ってたんですが、ママで掲載します。間違っててすいません)



こんにちは。ジン太といいます。ライターやってます。
aktaのマンスリーペーパーの中の「タウンライツ」というコーナーで、もう2年近く連載しています。
これは、aktaで閲覧/入手できる冊子の紹介と絡めて、HIVや依存の問題といったことを、創作の物語の形で語るというコーナーです。
さっき朗読したのは、マンスリーの4月号に掲載したものを修正したものです。


……ぼくは漫画とSFが好きなので、まずSF漫画の話からはじめます。

明智抄っていう漫画家のひとの作品に、『砂漠に吹く風』っていうのがあります。
遠い未来のお話。その世界では、「シロッコ」と呼ばれているクローンがいます。

シロッコたちは、他のクローンとお互いシンクロすることができ、パソコンを同期して自動バックアップするみたいに、お互いの記憶を共有することができます。

何世代分の経験も記憶も、すべて共有することができるシロッコは、当然ふつうの人間よりも優秀です。
けれど、そのシロッコは、自ら死を選んでしまいます。
経験も、知識もあるのに……

なぜなら、彼らは、数世代分の絶望も共有してしまうためで、わずかな幸福な人生の記憶は、それに押しつぶされてしまうからです。

あるひとりのシロッコの前に、ある男が出てきます。その男は、友人であったシロッコの一人を、自殺でなくしてしまっていました。

シロッコはこう言います。
友人というが、われわれシロッコに個体差はない。われわれはみな同じだ。

男は言います。
違う。ぼくの友人はひとりだけだ。「シロッコ」(=規格品)ではない。

そして、「シロッコは死のウィルスに犯されている」といいます。死のウィルス、これは絶望の比喩ですが、このウィルスからシロッコたちを救う物語を作ろうと決意します。

シロッコの絶望を癒す、幸せな記憶となる物語を。


…ここからは、現実のお話です。

タウンライツの感想を、陽性者の人から聞く機会がありました。
彼は、96年頃に感染が発覚した人です。

彼はこう言いました。
「ぼくたちには物語がないんだよ。」

「感染した当時、HIVに対してほとんど誰も知らなかったし、センセーショナルな記事や、偏見まみれのものしかなかった。

友達にも誰にも言えなかった。語ることもできなかった。
両親には「死んでくれ」と言われた。

だから。
こうしてタウンライツを読んでとてもうれしかった。

語られる物語があるから。

ぼくたちの物語だから。」

ぼくはそれを聞いてとても嬉しく思いました。
自分の書いたものが、誰かの心を動かしたなんて、これ以上うれしいことはありません。

けれど、ちょっと怖かった。
正直な話、ぼくにとっては、物語を作ること、具体的にいえば、設定をひねったり、人物をその物語で動かすことしか興味がなかったからです(もっとも、それなりに調べもするし、頭の中でもしこんなシチュエーションだったら、この人はどう思ってどう行動するだろう? この文体のほうがいいかな? とか考えて、ものすごく迷うし苦労するのですが)。
そんなぼくが書いたものが、こんなに褒められる資格があるんだろうか?

そう言うと、彼は言いました。

「きみにとっては、ただ物語を紡いでるだけかもしれないけれど、HIVの歴史を考えてみれば、こうして語ることそれ自体がすごく大きな一歩なんだよ。」

重い言葉でした。
裏を返せば、それは語られなかったということで、
残念ながら、今でも語られていないということです。

…ぼくは物語には力があると思っています。

こうして、レインボーリングが出してるHIV陽性者とその周りのひとたちの手記集もそうだし、このLTラウンジもそうですが、HIVについて語ること自体が力になるのだと、ぼくは思います。

最初に話した、『砂漠に吹く風』ですが、これは残念ながら未完でした。結局、シロッコたちを癒す物語を紡げたかどうか———それはわかりません。でもぼくはできたと信じているし、シロッコたちは救われたと思っています。

そして、ぼくたちの物語はまだ終わっていません。
まだ語られはじめたばかりです。

語ること、語り続けることが、必要なんだと思います。

自分の物語が、語る言葉が、だれかの希望として存在している…
その喜びと、責任の重みを受け止めつつ、これからも書いていきたいと思っています。


# by bogdog | 2010-05-10 01:12 | ゲイ・オカマ・クイァーなネタ

タウンライツ Life goes on  "Re:story"

 古い時計だった。
「これ、祖父の形見なんだ」
 彼の右手の時計は、ぼくの耳元でカチカチと音を立てた。
「いい時計だね。音がするし」
「どの時計も音はするだろ?」
「うまく言えないけど、いい音だよ」

 時計の音を聞きながら、ぼくの意識は過去と未来へと千々に飛ばされていった。
 ……産まれる前、子どものころ、きのう、あした、おじいちゃんになってる未来、そのまた向こう……
 この時計は変わらず動いてて、ずーっと音をたてている。
 年をとるってどんな気持ちなんだろう?
 時計が示す未来を、ぼくは想像できなかった。おじいちゃんになったぼくって?
 そもそも、実際にゲイでおじいちゃん、っていう人を見たことがない(ぼくがフケ専じゃなくておじいちゃんの知り合いがいないってのもあるけど)。
 いや、おじいちゃんじゃなくてもどうなんだ? 他のゲイがどう生きてるかも知らない。考えてみれば、ゲイバーで隣に座った人の人生も想像できないぼくらだ。
 想像力の欠如、それは物語の欠如。
 語られていない、語られもしない物語。
 ぼくたちの物語はどこだ? ここから明日へと続く物語は?

「……どうしたの?」
 彼が話しかけてくる。
 出会い系アプリでつかまえた彼は、独り身生活数年目で、やっと見つけた超ストライク。ぼくたちはベットの上に向かい合って座っている。
「あ、いまちょっとだけ考え事してた」
 耳元で鳴っていた時計の音がふっと遠くなる。
「あのさ。俺の話、聞いてくれる?」
 彼は居住まいを正すと、
「これから、その、エッチしたりとか、もしよければ、付き合う前に、ちゃんと話しておきたいんだけど……」
 一気にそう言って口ごもる。ふう、と大きく深呼吸して、
「……おれ、HIV陽性なんだ」
「……そうなんだ」
 なんとなく、わかってた。それでも、やっぱり心が痛かった。こうして、肌をふれあう人にさえ、拒絶されるかも、と恐れなくてはいけないことが。
「一夜限りとか、ハッテン場とかだったら、わざわざ言わないけど……その、タイプだし、できれば、これっきりじゃなくて……ええと」
 それは、遠回りであるけれど、愛の告白そのもので。だから二つ返事で応えた。
「ありがとう。うれしいよ」
 腕を回して、彼の体をぐっと引き寄せた。
「これからは一緒にいよう。もっと仲良くなろうね」

 気持ちいい音がする。
 時計の音だと思ったのは、それだけじゃなかった。ぼくと彼の2つの心臓の音。秒針よりも早いテンポで力強く脈動している。ぼくたちの中の時計が、トクントクンと音を立てながら、時を刻んでいる。そうだ。ぼくたちはこの世界をたしかに生きていて、未来へと繋がってるんだ。

「ねえ、おじいちゃんになってさ。寝たきりになったら、ぼくがおむつかえてあげるよ」
「え、そういうプレイするの?」
 彼は大げさにおどけた。
「うーん。それはそれでありかも」
 そんなぼくの言葉に本気で驚いて、二人で笑う。ぼくたちは射精する。

 帰り道、駅までの道を少しだけ手をつないで歩いて、改札で別れる。
「じゃあ、また明日な」
 手のひらには、二人分の温もりが残っていた。冷めないようにポケットに入れた。
「また明日」
 その短い言葉をゆっくり、何度も何度も、家に帰るまで味わった。
 また明日。また明日……


初出 aktaマンスリーペーパー2010年4月号

# by bogdog | 2010-05-10 01:10 | 創作したもの

『紫色のクオリア』 平行線から手を伸ばせ! 百合×SF×ラノベ


紫色のクオリア (電撃文庫)


紫色の目を持つ美少女の、鞠井ゆかり。彼女は「人間がロボットに見える」という変わった女の子です。写真でもテレビでもロボットに見えて、自分だけは人間に見えます。

鞠井ゆかりは、人間の才能をロボットのように見る事ができて、「すっごいセンサー装備してる」「すっごいローラーとスーバニア装備してる」「周辺機器が多そう」「汎用性が最強」などと表現します。たとえば、殺人現場の写真などを見ても、「こんな壊し方ができるのはこの人だけ」と、誰が犯人か当てることができます。

この物語は、鞠井ゆかりの友達の波濤学(はとうまなぶ)という女の子を語り手にして進みます。学は、女の子なのに声が低くて立ち居振る舞いも女の子らしくないから、鞠井に気になる存在として映ります。鞠井は、人間を見てもロボットにしか見えないから、当然、女か男かもわからず、着ている服や声なんかでなんとなく判断するしかないんです。

で、廊下でぶつかった拍子に、学と鞠井はキスをして(定番 笑)、それから二人は友達になります。学は、鞠井の目には、「スーパー系」で「最強の汎用性」を持ったロボットとして映ります。

はじめはこの才能を生かして、敵と戦って行くお話なのかな、と思ったら、2話目からどんどん話が膨らんできてすごかった。

ある事件をきっかけに、平行世界の自分と交信する力を持った学は、鞠井を救うために、無限の平行世界を渡り続けます。けれども、何度も何度も繰り返しても、鞠井は救えない。

ここらへんは、「時をかける少女」とか「千年女優」っぽい。あと「プロペラ天国」とかのループもの。(古いSFファンじゃないのでたとえがここで限界)

そしてさらに、学は過去に戻って、汎用性を発揮して思いつく限り試行錯誤を続けます。何十億年、宇宙を巻き込んでというまれにみるスケールのでかさがすげえ。

量子学や人間原理(人間が観測することによってはじめて宇宙は確定する)など、SF的に平行世界に渡る原理もちゃんと説明されているのもすごい。でも読みやすいし、ラストもすごくラノベらしくまとまってます。

タイトルにもありますが、「クオリア」がこの世界を解くカギになります。

鞠井ゆかりは、かわいいのでたいていの人間から好かれますが、なぜか一人だけ鞠井ゆかりを目の敵にする女の子、天条七美(てんじょうななみ)がいます。

天条は、鞠井の幼なじみで、鞠井の「人間がロボットに見える」という秘密を知っており、幼いころに表情や感情表現に乏しかった(周りがロボットだから、自分がどんな顔をすればいいかわからないので)鞠井に、笑い方なんかを教えた人間です。

鞠井にとって、仲がいい友人というのはとても大切なもので、たとえば表情がない犬や猫が、怒ってるか喜んでるかどうかは一見したらわからないけれど、飼ってる人にはわかるように、友人なら親しくなって、安心して心を開いて付き合えるわけです。

でも、天条はある事件をきっかけにして、鞠井を敵視するようになります。
天条は学にこう言います。鞠井ゆかりは『哲学的ゾンビ』だと。


天条「簡単に説明するとね、赤いリンゴを見て、それが赤いということを『知る』ことはできても、『感じる』ことのできない存在、それが哲学的ゾンビーーーとあたしは理解しているわ(中略)あたしたちは、おいしいものを見るとよだれがでてくる。なぜならおいしい、ということがどういうものか、『体験的に』知っているからよだれを流す。でも、『哲学的ゾンビ』は、おいしい、ということを『知識として』知っているからよだれを流す。おいしそうだからではなくて、どう反応すればいいか知っているからーーー結果的には同じでも、これって大きな違いでしょう?」

学「・・・ようするに、ゆかりがそうだっていいたいわけ?」

天条「正しい意味では違うんだろうけど、相対的にはそうじゃない? だって、まりぃがその目で見て、経験しているものは、あたしたちと共有できないんだから。まりぃだけを見るなら、彼女は哲学的ゾンビじゃないかもしれない。でも、まりぃと同じようには見られない、感じられない、同じ『赤さ』や『おいしさ』を共有できないあたしたちにとっては、結局は、ーーーお互いに哲学的ゾンビと同じようなものーーー   知ってた? まりぃ、人間とプラモデルの区別がつかないのよ?」



学は、鞠井に「小学校から使ってる自転車と私、どっちが好き?」と質問して、即答できなかった鞠井の態度に傷つきます。

それでも、負けないで友達でいようと思う。

学は、ある事件をきっかけに、鞠井の隠された能力を知る事になり、鞠井と自分のあまりの見え方の違いに驚愕します。


 そう、天条のいうとおり、あたしはわかっていなかった。
 あたしとゆかりは、『見え方』だけが違うのではない。
 見ているモノ、そのものが、違う。
 (略)
 たとえ同じりんごを見ていても、あたしとゆかりはそれぞれ違うものを見る。
 あたしはそれを知っている。でも、ただ知っているだけで、実際に、ゆかりにどう見えているかはわからない。動揺に、ゆかりにも、あたしにどう見えているかわからない。あたしたちはお互いに、自分が見えている世界から出ることはできず、相手が見ている世界に入ることも許されない。
 あたしにはゆかりの見るものが見えず。
 ゆかりには、あたしの見るものが見えない。
 それは、いつまでも、どこまでいっても交わることのない平行線ーーー



そして、学は「私の目にはゆかりは友達に見える」と、同じ気持ちを信じていることを願って、平行線から手を伸ばす、友達でいることを誓います。

……感動しました。

百合っぽいところも、SFも、すっごく好きなんですが、やっぱり感動したのは、学のひたむきさです。
それに、「見え方」が違う人間同士がわかりあうというところに惹かれした。
いやー…いい本読んだ。SF好きはもちろん、読みやすいので初心者でもオススメ。

これに絡めて、自分がゲイってこと考えたこと書いてたら、長くなったんで別にエントリーしました。

「ゲイの視点/ゲイの経験」泥濘日記

# by bogdog | 2009-12-05 18:06 | ライトノベルの感想だよ☆

ゲイの視点/ゲイの経験

この泥濘ブログを書いてる、ジン太こと藤丸心太はゲイです。

自分のものの見方って、「ゲイとしての経験」が結構大きくかかわっています。

つまり、男に欲情する人間で、その性が芽生えたときに多感な思春期を送り、ゲイに理解のないノンケ社会を生きつつ、ゲイカルチャーを楽しみながら生きる……という、ゲイとしての生き方の経験。

もう少しゲイとしての経験を具体的に言うと、自分が初めて好きになったのは男の子で、そんで誰にも相談できなくて、告白しようかと思ったけどできなかったりして悶々として、俺って変態なのかも、って毎日悩んだり、実際それが原因で学校でいじられて辛かったりと、虚しい苦しい思いも抱えつつの思春期を送って、紆余曲折のすえ自分がゲイであることを受け入れて、ゲイの友達ができても、ゲイの友達が性の対象でもあるので悶々としたりとか、恋人とうまくいかなかったりとか、セックスに溺れたりとか、社会に出てもゲイってことを隠して周りに彼女いないのか、結婚しねえのか、って言われ、それを言葉で濁したり、それでもそれなりにゲイとしての楽しみを見つけたりして、ゲイバーとかゲイナイトとか、お笑い女装とか、そういうゲイならではのカルチャーを享受しつつ、生きております。

個人差はあれ、おおかたこれがゲイが経験として持っている共通の背景で、これが「ゲイの視点」と言えるものを作っているのだと思います。

僕としては、ゲイで生まれて、いままで得てきたものの感じ方や見方を誇りにしたいし、大切にしたいと思っています。すごく悩んだことも、孤立していたことも、親や友達とのものの見方との差に愕然としたことも。それは、黙殺されるマイノリティの痛みや孤独がわかるということだし、常識を疑って(なにせゲイ自体が常識外れで、一般常識からしたらSF並みなんですから)本当に自分が大切にしなければいけないものはなにか。幸せに生きるためには何をしなければいけないのか……ということを、常に自分の体験として自問できるわけですから。


ゲイ同士のつながりは楽しいです。
ゲイとしての経験が下地にあるので、たとえば同じ高校の出身ってだけでなんとなく距離が縮まるみたいに、ゲイってだけで親近感が沸くし、ゲイの友達といっしょにいるとほっとする。いろんな年齢層の人や職業の人と仲良くなることもできるし、いろんなことを語れる場所も、セックスする場所も機会もたくさんあります。ゲイじゃなかったら、知らなかったこと、仲良くなれなかった友達は、たくさんいます。


でも、たしかにゲイ同士は楽しいし、まだまだ学ばなくちゃ行けないことたくさんあるけど、そこだけで満足してちゃだめだなー、と。
ゲイじゃない、ゲイに対して理解がない人にも、伝える努力をして、わかり合わなきゃいけないんだと思うんです。

「わかってもらえる」人だけを大事にして、「わかってくれない」人に伝える努力をしないのは、世界が広がらないし、つまらない気がする。それって、たとえるなら国語辞典持って海外に行って、なんで俺の言葉がわからないんだ! って憤慨するようなもんじゃないですか。

ものの見方も、感じ方もまったく違う人とわかり合うのは、本当に難しいです。言葉では同じでも、その言葉を感じて理解するのは、人それぞれで、それこそ平行線のように交わらない人間もいます。

でも、それでいいと思うんです。平行線でいい。

「それは感性の違いですね」とか「あなたとは違うんです」とか、拒絶するのは簡単ですし、自分がエラくなったような、優位な気持ちになれます。でも、それには未来もありません。お互いに信じられるものはなにか。平行線上の人間同士、どうわかりあうか? つねにトライ&エラーを繰り返し、平行線から手を伸ばして、指先のふれあいからゆっくりと心を伝えて行くようなコミュニケーションをしていきたい。

自分は「ゲイ」なので、「ゲイの視点」でしか物事を見る事ができない。
相手はゲイの自分には理解できない物の感じ方をする。
だからお互いおもしろいし、世界も広げていけるんだと思うんです。

そんなことを、『紫色のクオリア』 (電撃文庫)
を読んで思いました。
問わず語りが、思いのほか長くなったので、レビュー記事と分けました。

「『紫色のクオリア』 平行線から手を伸ばせ! 百合×SF×ラノベ」泥濘日記

# by bogdog | 2009-12-05 17:48 | ゲイ・オカマ・クイァーなネタ

『ダブル/ダブル』 


ダブル/ダブル (白水Uブックス)


分身、ドッペルゲンガー、シャム双生児といったテーマのアンソロジー、『ダブル/ダブル』(白水社uブックス)がやたらおもしろかった。

とくに、スーザン・ソンタグの『ダミー』がよかった。
「この世界の間違いを真に解決する方法は2つしかない。抹殺か、複製かだ」。完璧な自分のコピーを作って、それに人生を譲り、自分は自分の人生から消え去るのだ。

その他にも、ルース・レンデルの『分身』もいい。
カップルが、公園で散歩をしていると、カップルの女のほうによく似た女の人に出会う。「あれは私の分身よ、分身を見たら一年以内に死ぬの!」と彼女はおびえる。よく見ると、その似ている女の人は、たしかに彼女に似てるが、10才くらい年をとっているし、雰囲気も違う。彼は、その彼女に似ている女、分身と思われる女に、彼女がなりえたであろう姿、そして永遠になれない姿を見て、徐々に惹かれていく……。そして男は、彼女と彼女に似た女、二人を愛するようになり……。

以下、ちょっと抜粋。

 「みんなそう思います。若い女の子ならみんなそうでしょう。あなたは女性として理想的な人です。頭が良くて、分別があって、やさしくて、独立心があって……きれいだ」

 「それでもしそれが本当だとして」と彼女は軽く受け流すように言った。「仮にそうだとして、どうしてリーザがそんな風になれないっていうの?」

 「彼女が18になったら、遺産相続人としてお金が入ります。そうなれば生活のために働く必要もないし、苦労して何かを身につけることもなくなります。僕らは彼女のお母さんの家のそばに住むことになるでしょう。そうして彼女は母親のようになっていくのです。(中略)あなたを見て、あなたがリーザのダブルだなどとは思いません。僕はあなたに、もしこう言ってよければ、より好ましいリーザ、彼女の人生にもう一つの道が開けていたならそうなっていたであろう13年先のリーザを見ているのです(略)」

(『ダブル/ダブル』(白水社uブックス)収録「分身」ルース・レンデル)




ふと思ったんだけど、ゲイってヘテロよりも「ダブル」に近いのではないだろうか。

自分と同じような見た目の人を愛せるっていうのは、すごく不思議だ。
ヘテロでも自己愛はあると思うけど、それがあきらかに目に見える、という点で。

自分とそっくりな似た者同士のゲイカップルは、そこらへんにざらにいる。

個人的な経験でいうと、自分と同じような顔格好をしていて、服もパンツも共有して、実の兄弟に「私たちより似てるね。ひょっとして実は兄弟なんじゃない?」と言われるような人と付き合ってたし、あれは本当は他人じゃなくて、他人を通して見た自分を愛してたんじゃないか、と言われたとても、はっきりと「それは違う」と否定する自信がない。

見た目が似ていなくても、愛する相手に、「自分がなりえた姿」「自分が失ったしまった自分の姿」を投影してるんじゃないだろうか。具体的に言うと、「男らしい男」とか「少年らしい男」とか、そういう「自分がなりえたかもしれないもの」。


で、ここらへんの「ダブル」な感覚を上手く書いた同性愛者の作品は、知るかぎりではレベッカ・ブラウン。お互いがお互いだけを愛するために、片方は目をつぶし、片方は耳を塞ぐという『私たちがやったこと 』
。空想で作り上げたカウガールの少女をプロデュースする「ポニー」などの短編は、どちらも同性同士の話で、ヘテロだったら成立しないんじゃないかな。
「ナンシーブース、あなたがどこにいるにせよ」(『若かった日々』に収録
)サマーキャンプで出会った少女に憧れ、そして新しい自分を発見して成長するという話。


ゲイやBLの創作系で、そういう「ダブル」の話、ないかなあ。
自分自身とか兄弟みたいな、そういうネタの話は、わりとウケないのか。
分身とかって、ナルシズムに繋がって気恥ずかしいのかもしれねえ。


aktaのフリーペーパーで「タウンライツ」というコーナーに寄稿しているのですが、明日から配布される11月号で書いたお話が、ウリ専をしている同居人と、それを受け入れつつも結局は拒否する男の話で、書いてからこれってダブルなんだな、って気がついた。同居人は自分だった、という隠れたオチ。というわけで手にとったら読んでみてください。

# by bogdog | 2009-10-30 02:30 | 本の感想

今まで読んだジョジョの回数を覚えているか?(その1)

ーーーあらすじーーー

●読んだ言葉しか、しゃべることができない、「聴覚性難読症」(イヤホン・ディスレクシア)のコウイチ。いろいろあってジョジョを読むことになり、「ジョジョの奇妙な冒険」の言葉しかしゃべれなくなってしまう。それにより、平凡な学園生活は混乱に? 思いのほか続く予感……。



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# by bogdog | 2009-10-14 04:14 | 創作したもの

『東京通本』 濃すぎる東京!


ふと降りた隣の駅の商店街。「なんだか面白そう・・・」と覗いてみたくなる。けれどお金も時間も無駄にしたくない大人だし、一人で入るのはちょっと・・・という、妙なハードルがあって、入るのに躊躇するのも事実。

そんな心境のあなたに、「もったいない! 東京はもっと面白いんだって!」と背中を押してくれる(かもしれない)ムック本が、出ました。首都圏の本屋、コンビニでお買い求めできます。Amazonも今は送料無料だからAmazonでも便利よ!

『東京通本—ターミナルの向こう、ゴキゲンなとなり街』 (えるまがMOOK ミーツ・リージョナル別冊)



野方/十条/岩戸/鐘ケ淵/立石/北千住/大井町/武蔵小山/新宿ゴールデン街/江古田/幡ヶ谷/笹塚/下北沢/高円寺/新大久保/四谷三丁目/新宿二丁目/三軒茶屋

といったディープタウンの飲食店を中心に、150店舗近く紹介。

ホームグラウンドにしてる人なら、いつもいく行きつけの店。安くておいしい店。ノスタルジーを感じる飴色のお店。戦前の濃いDNAを残している店、計算でもマーケティングでもないお店。ある種の狂気を内包するお店・・・・。

ただお店のデータや感想を紹介するだけではなく、そのお店がある街の息づかいも含めて、ばっちり写真と文章でお届け。

郷愁とも不安とも憧れともつかない、胸をかきむしるような情動を引き起こすサムシングがびっしりつまった一冊です。行きたくなるに違いない。

立ち読みはこちらからできます。どうぞ雰囲気を味わってください。

お店もすごいんですけど、インタビュー/執筆陣も豪華で、辛酸なめ子、吉田豪、内澤旬子、瀧波ユカリ、東郷健など、明らかに偏ったメンツで(笑)東京を独自の視点で語ってます。

そんな『東京通本』の読み方を、制作に係ったジン太の視点からちょっとだけ紹介しますー。

まず、一見しただけではちょっとわからないカバーガールに注目。



実は、辛酸なめ子さん。


『自由が丘聖子セラピー』というコラムにて、自由が丘にある聖子専門店、『フローレスセイコ』のコラム&イラストを書いております。セイコで癒されよう、という愛と毒に溢れた企画。松田聖子でセラピーって・・・



そして聖子の日米コスプレも・・・。
「心の岸辺に咲いた乙女な聖子」「尽きない向上心肉食SEIKO!」
というキャッチに、編集者の意地を感じます。どんだけだよ。

辛酸なめ子さんの

「マネキンの後ろからのぞく、聖子ちゃんの背後霊っぽい肖像画にビクっとしながら、店内へ」
「フローレスセイコは時空を超越した空間だと実感しました」


っていう辛酸さんならではのコメントがすげえ。


『甲斐みのりのクラッシック ホテル案内』
ここでは、ラブホテルを乙女系の本を書いている甲斐みのりさんの視点からレポート。大人の階段の踊り場で躊躇している乙女が、背伸びして秘密の花園を覗くような、甘酸っぱいラブホコラムは必見です。


変な部屋がたくさんある、『ホテルアルパ』の中の一つ、「山本晋也の世界」。ラブホの部屋のお風呂のところに、でかいグラサンがかけてあって、山本監督が覗いてるようなデザインになっております。キン肉マンハウスみたい。こういうエロスって素敵。


『ノンケなのに新宿二丁目在住』吉田豪さんのインタビュー。Archで撮影。
ノンケで新宿二丁目に住むというのはどういうことか?  ノンケ視点でゲイタウン新宿二丁目を語ります。
当然、吉田豪さんなので、美輪明宏さんのトイレの話、枡野浩一さんのはじめての●●の話とか、「そこまで言っていいんすか!」な話がたくさんあってすばらしい。

新宿二丁目は、アラマスやArch、九州男など僕もよく行く場所も紹介されてて、おなじみの店長さんたちもいい顔で映ってて嬉しいっす。


『臨死!!江古田ちゃん』の作者、瀧波ユカリインタビュー。
インタビュイーも瀧波さんと同じ学校出身ということもあり(日大の芸術系)、江古田愛に溢れたトークをうまく引き出しております。どこの居酒屋がいい、とかあのパン屋いいよね〜みたいな「えこだベリ」から、江古田ちゃんの産まれた街の空気感がわかります。単行本で紹介してるあのお店もここで紹介。江古田ちゃん読むのが絶対楽しくなるはず。もちろん4コマも寄稿してくれてます。

地図付きで、「江古田ちゃん聖地巡礼」もいますぐ出かけられるコラム。いいところですよ江古田。



僕は三軒茶屋と笹塚エリアを担当しました。


写真は、『三軒茶屋中央劇場』。写真はトーキョーワッショイでもいつもお世話になってるサトウユウジ氏です。

かっぱの映画館。かわいいでしょ。


三茶は若い「やんちゃな三茶」、老舗の「まちゅあな三茶」で紹介。
ほんといいところだった! 三角地帯はものすごく活気あふれてて、若い人たちはみんな元気だし、安いし。

ここでは紹介しきれなかったけど、バッティングセンターも釣堀も銭湯もゲーセンもあるので、いろんなプランが立てられます。

まずは、『三軒茶屋 らぢお焼き』で、ハイボールとらじお焼き、次は『串かつ ラブル』で串カツ食って、『仙太』でまた串カツ食って、『BAR オスカー』で飲んで、『おさか』で深夜メシ食う。

もしくは、『味とめ』で飲んで、『赤鬼』で飲んで、『季節料理鈴』で飲んで、『kaya』、『yomica』で一休み、っていうのもいいかも。


笹塚エリアは、カレーで特集。
笹塚の商店街にある、世界のスパイス料理、『ジュリーズスパイス』。ここのスパイス使いは見習いたい。スパイスドリンクとか、チョリソーとかなんでもうまいの。あと、幡ヶ谷の駅そばにある『ダルヴィッシュ』も安くておすすめ。タイ料理の『セラドン』も。なにげにこのあたり、いい店たくさんあるんだ。


東京湾クルーズもやりました。
東京湾をぐるっと巡って、ランチビュッフェ付きで5000円。
いい具合にのんびりしてて、東京を外から眺める感じがのどかでよかった。地方から来た両親を連れてきたり、恋人同士の思い出作り(超予定なし)とかにオススメ。ビュッフェはほんとうまかったです。


他にも、北千住の魚料理のお店、立石の超旨くて安い寿司屋(ここのユウジさんの写真は奇跡の一枚 笑)、名店珍店たくさん紹介してるので、ぜひ買って! 明日からの東京が楽しくなって、いつも素通りするあの街で電車降りたくなるよ絶対。

# by bogdog | 2009-10-07 00:00 | お仕事しました

『苺とチョコレート』@キューバ映画祭


キューバ映画祭@渋谷ユーロスペースで上映されていた、『苺とチョコレート』を見てきました。

ソ連崩壊から徐々に回復(崩落?)へと向かう、80年代のキューバを舞台に、共産主義の若く美しい男と、オカマ(いい意味で)の男の二人の関係を軸に語る映画。革命と混乱を経て、自身がゲイであり自分らしくあれずに追われる男と、革命に夢を見る男の対比がせつなくてよかった。キューバ情勢に詳しくないので、これがこうだった、とジン太は理解が足りないのが恥ずかしいんだけど、ゲイであるという経験で語ると、共産主義の若者がいう「救い」に、同性愛者は入っていないことを身にしみて絶望しているゲイの登場人物の姿に共感してしまう。

「キューバにもまだ美しいものがある」と、ゲイの男は若者にキューバの誇るべき文化を教えるシーンがあって、若者が崩れ落ちたビルの瓦礫の前を歩くのね。それがすごく退廃的な、ある意味アナーキーな美しさがあって。ベルリンの壁崩壊前が舞台の『ベルリン天使の詩』みたいだった。

あと、個人的にすごいなと思ったのは、主演の人のゲイっぽい演技。ゲイが見ても自然っていう(笑)
台詞の詳細はうろおぼえなんだけど、オネエな仕草やしゃべり方を、若者が揶揄すると、
「私はピエロじゃないわ。これが自然よ。なにもおかしいことはない。でも自然なのになぜ迫害されるの?」(台詞はうろおぼえです)
というのがあって、胸を打たれた。

映画の感想とは別なんだけど、このシーンで思い出したことがあって。

前、ゲイ友達が、「オネエの友達はいらない、だってそんな人がいたら、『あのゲイの人と知り合いってことは、あなたもゲイ?』みたいな目で見られるし。僕の友達もそんなふうに迷惑かかるでしょ」という意味のことを平然と言ってたことがあって、それ聞いて僕、ものすごく怒った。

「オネエでも友達になるべき人はたくさんいるだろ!」って。

友達になるならないは個人の主義だから自由だけれど、自然であることがおかしいからって友達にならないのと、あまつさえ堂々と公言しちゃうって、自分の中の差別感に気がついてない気がしてよけいやだった・・・・オネエだって、いいじゃん。

そうそう、この映画で一番セクシーなのは主人公のノンケの若者なんだけど、だんだんいろんな考えを受け入れるようになって、人間的に幅が広がって行くのね。それが最後のラストシーンに繋がるんだけど、それがすごく感動的だった。

男前という意味では、若者のルームメイトも男前なんだけど、これがすっげえ嫌なやつで。
人間の魅力って顔や体じゃなくて、どれだけ他人を許容できるかっていう包容力なんだな、って思った次第。


映画祭は、10月9日まで。
このあと、名古屋でやるようです。



苺とチョコレート [DVD]
はDVDにもなってます。

# by bogdog | 2009-10-06 23:53 | 映画

『レオくん』(萩尾望都)


レオくん (フラワーコミックスアルファ)



僕、猫が人間のことを「おとうさんがご飯を食べさせてくれたにゃん」とか言う漫画って、苦手なんですよ。いい悪いとかじゃなくて「苦手」。

だって根本的におかしい。
動物が人間を「おとうさん」って思ってるわけじゃないじゃないですか。

動物みたいに人間とは違う生き物が、自分に無条件になついてくれたとして、それを「おとうさん」と言っていると勝手に翻訳していいのだろうか、と。

動物はなにか考えてるかわからないのに、それを人間の言葉で翻訳するというのがそもそもムリな話ではあるんですが、「人間に対する、愛してくれる『ように見える』動物の行動」が、子どもが親に対するそれと同じであり、お互いに愛を交わし合っているという認識は、そもそも錯覚なのではないでしょうか 。

動物が自分にだけはなついてくれて、他の知らない人にはなつかないのは、それは「この動物は、自分だけを愛してくれる」のではなく、ただ単に防衛本能から、「知らない人間にえさをもらうより、知ってる人間のほうが安心」と思ってるからかもしれない。

犬や猫の殺処分は、年間でおよそ30万匹にものぼるといいます。「経済的な理由で飼えなくなったから」「病気になったから」「引っ越すから」いろんな人間側の理由はありますが、僕が一番気持ち悪いなと思うのは、「なついてくれないから」です。

そんなのしょうがないじゃないか!
なんでなついてないってわかるんだー? 猫や犬に聞いたのか? 超能力者か?
動物が自分に期待する行動(しっぽをふるとか甘えるとか)をとらなかったからといって、「なついてない」ってなんでわかるんだー?

そもそも、ここには世話をしさえすれば動物は人間を無条件に愛してくれるという、傲慢さが現れてれる気がする。人間は、なんで動物に無条件の愛情を期待するんだろう。人間はそんなに動物に愛されるに足る生き物だろうか。

「動物大好き!」のまさに「猫かわいがり」の心理は、「私はこんなに愛してるのに、愛してないから殺す」というストーカーや、「子どもが自分の想い通りにならないから、好きになれない」と育児放棄する親と、紙一重な気がして、どうしてもなんだか好きになれないんです。

たしかに動物はかわいいとは思うし、それを責任もって飼ってる人はいいんだけど、愛という名前で巧妙に隠された暴力があるような気がして、ちょっと背筋が寒くなる。 人形大好きな女の子が、誰も見ていないところで人形をつねったりしているような。愛だといって、いつまでも子離れできないで子どもの幸せをも台無しにしている親のような。




とまあ、前置きだけで暴走してしまいましたが、
本題で『レオくん』
の感想いきます。

今年、デビュー40周年(生誕ではありません)を迎え、flowersで特集もされた、萩尾望都先生の猫漫画。

萩尾望都先生自身が飼っているシマ模様の猫の「レオくん」をモデルにした漫画で、レオくんが立ってしゃべれる、そういうパラレルワールド世界の漫画です。

レオくんは、給食に憧れて学校に行ってみたり、お見合いしてみたり、仕事してみたりといろいろチャレンジしてみるのですが、いかんせん猫なので、人間社会には適応できず、何も学ばないし成長しないままゴロゴロしてます。

レオくんを人間社会に置いてわかる事は、猫から見た人間の窮屈さや滑稽さ。
レオくんは、学校にいけば机にじっと座ってられず、先生や生徒たちに叱られて泣いたり、庭で勝手にトイレするし、お見合いでは「お料理できる男がいい」と言われればネコ缶を出したり、「子どもが欲しい」と言われれば「僕去勢してるんで」と答えてご破算になったりします(『レオくん』の世界ではネコと人間で子どもが作れるようです。夢の獣属性が・・・ゴクリ)

レオくんが動物雑誌の編集部に入ったときは、ネコにグルメを語ってもらおうという企画を立案し、これは成功します。なんてったってネコはグルメなので。

「ネコ伊勢のビーフね。ゼリー寄せが大好き」
「わしゃな。チャオチャオのトロ風味シリーズがいいな。スープたっぷりでたまらん」


なんて饒舌に語ってくれます。


調子に乗ったレオくんは、次号では犬のグルメを特集するのですが、犬は

「好き嫌いはありません。ずーっとこれ食べてますマイドック」
「朝の9時と夜の7時にいつもチャームドックですよ。ええ」


と、犬はグルメに向いてないことが判明。雑誌が売れなかったことがショックで、レオくんは退職してしまうのでした。
そうだよなあー。犬はグルメじゃないよなあ。

レオくんはいろいろチャレンジしても、ネコなのでご飯と遊ぶことしか考えておらず、むしろ周りの人間たちがその姿に救われます。

好きな話は、「ヤマトちゃんの恋」というお話で、レオくんが一度だけ学校に来たとき、後ろに座っていた女の子のヤマトちゃんが、レオくんが何もできなくて失敗ばっかりしてみんなに笑われるのを見ていて

(しかたありません。レオくんはバカなんです)

と思いながら、一生懸命なレオくんのことが気になります。
明日はレオくんに会える、と思って次の日学校でレオくんを探しますが、レオくんは学校には来てません。

(そんなのずるいよ! 私はがんばって学校にきてるのに、レオくんはこないんです もし私が学校に行かないで遊んでたら、パパとママにすごくしかられると思います)

ヤマトちゃんは、公園で遊んでるレオくんに言います。

「レオくんあしたは学校にくるの?」

「学校はいいのぼく バッタとったりモグラとったり、ヤモリと遊んだりして忙しいんだもん」

「レオくん遊んでばかりじゃだめだよ。お勉強しないと立派な人になれないんだよ」

「いいもん。だってぼくネコだもん」

それを聞いて、ヤマトちゃんはポロポロ泣き出します。えっ!? とびっくりするレオくん。

(私はお勉強のことが言いたかったんじゃありません。レオくんに学校に来てほしいだけなんです)

「ぴょんぴょんして遊ぼうよ」というレオくんに、「お勉強があるから」と断ります。「あ そうだね。りっぱな人になるんだね」とレオくん。

(そうです。私はネコじゃないからです)

そして、最後のページでは、レオくんが次また学校にきたときは、私がお勉強も教えてくれあげるし、一緒に歌えたらいいな・・・・というヤマトちゃんの空想のシーンで終わります。



このお話が、ツボにはまってしまって・・・・泣けてしょうがなかった。
ヤマトちゃんはこれから、ママが言うみたいに「りっぱな人になるために」勉強しなくちゃいけないし、レオくんはネコだから死ぬまで遊んで暮らすんでしょう。

二つの道は相容れないけれど、それでも「こんな生き方もあるんだ」と思うことで、ちょっとヤマトちゃんは救われたと思うんです。 その、相容れない距離感。けっして混じらないけれども、この距離感を信じていられるのが、愛だと思うんです。

『レオくん』は飼い主のことを「ママ」って言ってるけれども、でも「距離感」わかってるからいいんです。猫がかわいすぎる漫画が多すぎる。萌えとか、お母さんってしゃべるとか本当にどうでもいいじゃん。猫なんてどうにもならないんですよ。もっと言えば、人間だってそうなのに、人間がわかりあえなかったのを猫で紛らわしちゃ、だめだと思うんです。ちゃんと二次元だから好きにしていい、三次元はそうじゃないよね、と、『yesロリータ Noタッチ』みたく二次元とリアルを別だと自覚してるのはいいと思うんですけど、こと猫や犬に関しては、過度に愛を期待しすぎな気がする。

あと、『グーグーだって猫である』の映画のオーディションに行くお話とかすげえよかったですよ。

# by bogdog | 2009-10-01 01:00 | この漫画がスゴい!

『この世界の片隅に』と『戦争を描くという事』(こうの史代)

 『夕凪の街 桜の国』で、ヒロシマと今も残る被爆二世の現実、『この世界の片隅に』で呉で生きる家族の話を通して、戦争の中に生きる人々の日常を描いたこうの史代さんの、エッセイがおもしろいです。愛に溢れていて素晴らしい。

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)
この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)
この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)


【平凡倶楽部】第三回 戦争を描くという事

 このエッセイの中で、「戦争ものが嫌いだ」と著者は言い、なぜ自分が嫌いかというと「つじつまが合わなくて」「不自由」だから嫌いだ、と自己分析をして、そこから思考を進めて行きます。


「…そして、見聞きした戦争ものは大抵こんな結論に導かれる。「戦争で死んだ人たちはこんなにかわいそうでした。戦争は愛してる人やものを奪います。世界の人はみんな等しく素晴らしいのだから、だれ一人、戦争なんかで死なせてはいけないね」。それに対しわたし達は、「不謹慎」という言葉に縛られて質問もせず、空気を読んで「わたしたちは恵まれています。こんなことは二度とあってはならないと思いました」と決まった答えを不自由になぞらされることになる。しかし残念ながら、この結論の魅力をそっくりそのまま次の世代に伝え続けるほどには、わたしはこれを理解出来てない気がする。
(中略)
それでも、先人が導きだした結論には真理が隠されている筈なのだ。かれらが作った国は、実質平和にやって来ているのだから。ならば、この不自由さから離れて、かれらの人生に沿い、語られない何かを探る事で、我々に理解できなかった分を補えるかもしれない…」

『戦争を描くという事』より引用 



 ものごとを何か語るときに、それは「思想」であって、「人間」の姿はそこにはいないのではないか? と感じるときがよくあります。
 
 たとえば、このエッセイでも指摘されていますが(引用してない部分です)「東京大空襲で一晩で死んだ数はヒロシマとナガサキで一晩で死んだ数より多い」ということのように、死者の大小でものごとの優劣を計る、というように。

「乗客に日本人はいない」でも、ゲイでも同性愛でも、HIVに対するスティグマ(悪い印象付け)でも、ほんの数ヶ月前の新型インフルエンザの報道なんかでもそうですけど、そこにある生きている人間の姿というのを想像することなしに、人間は簡単にわかったつもりになってしまいがちなのではないか、と。「思想」ありきであてはめて、「人間」や「事実」を無視しているのだと。


 「平和」っていう言葉を使うときにおいても、「戦争」は「かわいそう」で「あってはならない」となぞるだけで、そこに生きてる人間が何を想い、どう考えていたのかということは全然考えてないですよね。「平和」や「幸福」なんかを語るときも、それが本当にその言葉を使うときに、ちゃんと人間がいるのだろうか? 
 もちろん、それは簡単なことではないのですが、私たちはそれをできるかぎり想像し、模索しなければならない。それが「戦争を知らない私たち」の役目なのではないか…と、こうの史代さんのエッセイを読んで感じました。


 『この世界の片隅に』は、本当にすごい漫画なんですよ!
 ぜひぜひ読んでほしいです。


# by bogdog | 2009-09-29 10:00 | この漫画がスゴい!

最近の仕事とか

気がついたら、このブログ放置してました。いかんいかん。

最近のお仕事
10月頭に出る本
東京通本で書きました。amazoにはいちおうリンクはあるけど、店頭に並ぶタイミングでまた書きます。

・青山にある銭湯、清水湯のフリーペーパーでコラム書きました。

・badiで『臨死!江古田ちゃん』をコラムで紹介。アイマスも「女装アイドル」として紹介。

・あとちょこちょこネット系のリライトとか作成とかいろいろ。


# by bogdog | 2009-09-29 09:52 | お仕事しました

Rainbow

子供のころの私は、人がなにをしゃべっているのか、どうしてあんなに怒ったり笑ったり喜んだりしているのか、まったく理解できずに、じっと黙っていたので、母はクレヨンのセットを一箱、私に渡して「これで絵を描くのよ」と言った。



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# by bogdog | 2009-09-29 09:36 | 創作したもの

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