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「東京には空がない」の誤用

高村光太郎の詩の一説。

このフレーズが、ある種のノスタルジーと、高度成長を遂げた都市に対するアンチテーゼを駆り立てるものとして、広く浸透している。

 「東京」 に 「空」 がない

見上げれば、ビルと電線で区切られた空は狭く、まさしくその通り「空はない」と思うので、なんだか実感してしまう。

でもこれは「東京に空がないこと」を憂えたものではない。この詩は「あどけない話」というタイトルということを知っているのか。

精神を病んだ最愛の妻が、故郷の空が本当の空と言う。でも、自分にとっては見慣れた空である。空はどこでも繋がっているのに、ここでは断絶してしまっている。「あどけない空の話である。」と結ぶが、そこに分ち難い孤独と、諦観したなにがすがすがしいものがある。ノスタルジーでも絶望でもない。「東京には空がない」で始まるものは、同じ空を見上げた人間ふたりの、悲しみを超えてそれでも寄り添う愛ではなかったのか……

そんなわけで、軽々しく「東京に空がない」と誤用している文を見ると、いつももどかしい。



智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

高村光太郎 「智恵子抄」より

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by bogdog | 2008-04-13 23:50 | 日々のことば