【犬の十戒】と【犬と私の十の約束】
2008年 05月 22日
「犬の十戒」がブームになって、それにうまく便乗した形で「犬と私の十の約束」となって大ヒットしている。映画も本も見てないんでほんとーにあれなんだが。なかなかうまいこと商売にしたなあと思う。もちろんいい意味で。これは商売として素直に賞賛すべきところだ。
気になるのだが、「十戒」がなぜ「約束」になってるんだろう。物語にするにあたって、なじみのある言葉にしたと言えばそれまでだけど、ちょっと考えてみる。
「十戒」とは、十の戒律。
「戒律」とは、宗教上、守らなければならない、道徳規範や規則の事。つまり、神との約束であるといえる。
そう考えると、「犬の十戒」は、そこに神様のような絶対的ものの存在が見えてくる。ここでの「神様」とは、犬にとっては飼い主の人間、人間にとっては、犬にとって神である自分自身(の中にある信仰心)ではないだろうか。
「約束」とは、相手に実行を決めること、とりきめ。神との戒めである「十戒」とくらべたら、よくいえば人間的なイメージだ。
英語圏の人が犬をどう思ってるかは知らないけれど、「犬は人間ではない」という共通認識がこの「十戒 」あらわれてるような気がする。
日本人には、「犬は人間ではない」という意識があまりないのではないか。「うちのポチは自分のこと人間だと思ってる」とか言っちゃったり、写真に勝手に「おとうさんがごはんを食べさせてくれた」とかキャプションしたり、服着せたりするのを見てるとそう思う。わからなくはない。でもモヤっとする。
あたりまえの事をいうと、犬は絶対に人間になれない。犬は犬の精神構造で、犬の命を生きている。もし人間が1人で犬に囲まれているとしても、犬になりたいなんて絶対考えないだろう。
「十戒」が「約束」になってしまったときに、そこに人間本意の「ヒューマニズム」や「感動」という言葉で歪められた自己愛的な意志が入ってる気がして、なんだか気持ち悪い。
もちろん、「犬の十戒」はすごくいい詩だと思うし、動物との感動話も大好きだが……そんなに人間は他の動物に愛されてばかりいていいのだろうか。そもそも人間的な「愛」を他の生き物に適応するのが正しいことなのか、と思ってしまう。
気になるのだが、「十戒」がなぜ「約束」になってるんだろう。物語にするにあたって、なじみのある言葉にしたと言えばそれまでだけど、ちょっと考えてみる。
「十戒」とは、十の戒律。
「戒律」とは、宗教上、守らなければならない、道徳規範や規則の事。つまり、神との約束であるといえる。
そう考えると、「犬の十戒」は、そこに神様のような絶対的ものの存在が見えてくる。ここでの「神様」とは、犬にとっては飼い主の人間、人間にとっては、犬にとって神である自分自身(の中にある信仰心)ではないだろうか。
「約束」とは、相手に実行を決めること、とりきめ。神との戒めである「十戒」とくらべたら、よくいえば人間的なイメージだ。
英語圏の人が犬をどう思ってるかは知らないけれど、「犬は人間ではない」という共通認識がこの「十戒 」あらわれてるような気がする。
日本人には、「犬は人間ではない」という意識があまりないのではないか。「うちのポチは自分のこと人間だと思ってる」とか言っちゃったり、写真に勝手に「おとうさんがごはんを食べさせてくれた」とかキャプションしたり、服着せたりするのを見てるとそう思う。わからなくはない。でもモヤっとする。
あたりまえの事をいうと、犬は絶対に人間になれない。犬は犬の精神構造で、犬の命を生きている。もし人間が1人で犬に囲まれているとしても、犬になりたいなんて絶対考えないだろう。
「十戒」が「約束」になってしまったときに、そこに人間本意の「ヒューマニズム」や「感動」という言葉で歪められた自己愛的な意志が入ってる気がして、なんだか気持ち悪い。
もちろん、「犬の十戒」はすごくいい詩だと思うし、動物との感動話も大好きだが……そんなに人間は他の動物に愛されてばかりいていいのだろうか。そもそも人間的な「愛」を他の生き物に適応するのが正しいことなのか、と思ってしまう。
by bogdog
| 2008-05-22 13:31
| 日々のことば