ライター・藤丸心太(ふじまるじんた)のブログ。本の感想とかゲイネタとか創作系など。お仕事依頼などはメールで。リンク・TB自由。コメントは承認制。fujimarujintaあっとgmail.com (あっとを@に変更)


by bogdog

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SOTFのエントリーに出てきた、ゲイのマイミクさんとは俺のことです。

マイミク限定のmixi日記をリライトしてこっちでも公開します。


新宿二丁目の公民館的存在、aktaのマンスリー(http://www.rainbowring.org/akta/monthly_akta.html)の、「シティライツ」というコーナーで、aktaに置いてあるいろんなゲイ向けの小冊子を紹介するページを書いてるのですが、今回は「家路」という、家族へのカミングアウトを支援したり、カミングアウトしたあとのフォローをする小冊子がお題なので、いろいろ考えてました。そして、自分の場合の家族へのカミングアウトがどうだったか、ということをあらためて整理するつもりで書きます。


僕は家族にカミングアウトしてます。大学2年のころでしょうか。
そのころは某大学に行っていたのですが、帰省したときにカミングアウトしました。

ちょうどそのころ、姉の結婚もあり、自分の中では言わなきゃ! と盛り上がっていたように思います。大学に進学して、親元離れたことでひとまず親とは距離を置いて考えられたということと、大学生のうちに言っとかないと、社会人になってからだとどーでもよくなりそうだから早めに言っとこう、と思ったのがあります。

うちはわりと理解がある家庭だ、という実感はありました。 一緒に住んでれば「なんとなくこの人は理解してくれそうだ」とわかりますし。とはいえ、「なんとなくわかってくれそう…」というだけでは、やっぱり確信がないものです。そんな自分でしたが、「家族へカミングアウトしたい、できるんだ!」と背中を押してくれたのは、兄弟の行動でした。

姉が一番最初に連れて来た彼氏は、親より年上の外国人だったんです。田舎暮らしの両親にはさぞやショックだったでしょう。「好きだからいいじゃない!」と両親に泣きながら訴える姉は、今にして思えばかなり面白い状況だったのですが(姉は今、別の外国人と結婚して海外に住んでる)、当時高校生だった自分は、「恋っていいなあ」とこれまた今にして思えば見た目的にはそうでもないカップルなんですが(失礼)そんなことをしみじみと思ったのを覚えています。

「相手に分かってもらえるためには、かなりのエネルギーを使わなければいけない」ということは、いくら高校生でも知識としては知っているけれども、体験しなくてはわからないものです。姉という近しい存在が、自分がいつか立ち向かうであろう親に、堂々とカミングアウト(同性愛とは状況が違いますが)し、暑くバトルした、というのは、「自分もああやればいいんだ、できるんだ!」というモデルを得たことであり、もうそれだけでカミングアウトのためのアドバンテージを50ポイントくらい得たようなもんです。


高校生のころから、自覚あるゲイだったので、好きな人もいたんですが、もちろん告白する勇気もなく、ゲイの友達もいないし、もちろんセックスもしたこともないし、自分のセクシャリティも確固たるもんじゃなかったので、「大学で、俺も彼氏ができたらカミングアウトしよう」とか考えてました。でも大学になっても思ったようにゲイの人たちと深い関係を築くことができなかったのと(今にして思えば、自分の開き直れない部分によるところが大きく、自分の不安や見たくないところをその人に投影していたのかもしれません。若いゲイにはありがちなんすよ)、体育会系の部活なんか入っちゃったので、いろいろと迷惑かかるかも、ていうか変態扱いされる! と思ったので結局学校ではごく一部を除いてカミングアウトしませんでした。いま考えれば、すればよかった。教育学部にいたので、卒業生のほとんどが教師になったということを考えると、将来直面するであろう、生徒がセクシャルマイノリティという問題を見えるようにすることはできたんじゃないかな、と。それだけは心残りです。

そんな自分が家族にはカミングアウトしようと思ったのは、姉の件のほかにもう一個アドバンテージがありまして、妹の友達がゲイだったんです。その子はとてもオープンな人で人気者だったので、妹がよく母親に、「学校にゲイの友達がいてね〜!」って話をしてました。母親も「ねえ、ジン太、知ってる? M子(妹)の友達にゲイの人がいるらしいよ! ゲイってほんとうにいるんだね」から、「あの●●くん。M子とも仲がいいし、すごくいい人だね。そう、あのゲイの人」にだんだんと変わってきました。妹のゲイ友、というこれまた身近な人のおかげで、セクシャルマイノリティが身近だということを刷り込むことができ、さらにアドバンテージを得ました。……よっしゃ、フラグ立ったあああ!

とはいえ、自分にとって、「家族にカミングアウトすることの意義」が見出せなかった。当時、まあ今もいろいろな意見がありますが、「わざわざ老い先身近い親に、いたずらに性癖をカミングアウトして、混乱を招く事はない」という意見がゲイにとってのスタンダートだったような気がします。少なくともまだその時は、まわりのゲイの友達に、カミングアウトしたって人はいませんでした。ただ心情を吐露し、わかってもらうための告白なら、オナニーと変わらないじゃないか。そんな意見もありました。

そんなとき、ふとなんかで読んだ言葉にこんなのがあったんです。
「偽りの自分とは、偽りの関係しか作れない」
ふと最後のピースがはまったような気がして、親にカミングアウトすることを決めました。

ここで、「では、ゲイでない自分は『偽り』なのか?」
と思考をすすめましょう。

人間は社会的にいろいろな側面を持つものなので、どの部分が「偽り」なのかということは、まったくナンセンスな問いです。しかしながら、この場合は、「どの自分で関係性を作りたいのか?」ということなのです。僕は、「ゲイである」ということに、少なくともかなりのアイデンティティを持っていますし、「ゲイである息子」と「その家族」というところで関係性を作りたいと思いました。

ゲイであるいうことは、セクシャリティの意味でゲイ【男に欲情する】だけでなく、社会的な意味でもゲイ【男とパートナーシップを持つ】であるのです。性指向は流動的なものだともいいますが、少なくとも自分は男が好きな男として生きて、男とパートナーシップを持って行くということを、ひとつの運命として受け入れました。となると、やることは決まっています。建設的に関係性を築くこと。

誰と築くか?

友達は正直なところ、そんなに親しくしてるヘテロの友達がいないのと、ゲイってことでいろいろ聞かれたらうざいからあとまわしにするとして、まずは家族です。親兄弟のことが大好きなんですよ。それで、家族も僕のことが好きなんです。それなら、自分がどう生きるか、そしてこれからどういう関係性を築いていきたいのか、ということを、腹を割って話しあったほうが、長い人生いいに決まってるじゃないですか。

と、いうわけでカミングアウトしました。 でも、具体的にどうやってカミングアウトをしたのか、本当にさっぱり思い出せません。過去の具体的記憶があまりない観念的な人間なのです。(ノートに付けてた昔の日記を見ればわかると思うけど)

ああ、書いてるうちに思い出して来た。

……中学校、高校生のころは、本当に女の子も好きになれなかったし、男の子が好きで苦しかった。でも報われないし、このまま好きになった人に好かれることなく死んで行くんだろうな、って絶望してた。でも、自分と同じように、男が好きでしかもこんな俺でもいい、って言ってくれる人がいたから、生きて行けるって思った……

ということを言ったような気がします。

母親は受け入れてくれました。「そんなに悩んでたなんて知らなかった」ということを言ってくれたと思います。

とはいえ、完全に理解してくれた訳ではありません。母親なりに葛藤はあります。
「子供が見たかったね」って言ってきます。
「小さいころからすごく優しかったし、きっといいお父さんになれる、って思ってた」これはどう受け止めたらいいのか、わからない言葉でした。「すまない」という気持ちと「ありがとう」という気持ち、「無理だよ!理解してよ!」という憤り……。自分が「ゲイです」とカミングアウトしたように、親の想いを受け入れるのが義理だ、と言葉を飲み込みました。母親としても、言えないで飲んだ言葉や感情も、たくさんあるに違いないと思いました。産まれたときから今まで、どれだけの想いが自分に注がれていたことなんでしょう。その想いの大きさに、あらためて驚愕する想いでした。けれど世の中には、罵倒したりする親もいると聞きます。それを思ったら、呪詛でも怨嗟でもなく、素直にそして静かに話をしてくれた母親は、よっぽどいい人なんでしょう。


父親は、その時はちょっと苦手だったのと、言っても理解してくれないだろう、と思ってたので、直接は僕からはカミングアウトしませんでした。

しばらくして、「お父さんは(俺がゲイって)知らないよねえ?」って、母親に聞いてみたら、「話したわよ」と帰ってきました。

「『子供の顔が見たかったね』って言ったら、お父さんに怒られちゃった。『俺は、ゲイは理解できない。でも世の中には、子供が産みたくても産めない人がいる、そういう人に対して子供が見たい、っていうのは間違ってるだろう』って」

それを聞いて驚きました。父親なりに飲んだ言葉も想いもあるでしょう。でも言ってくれたのはこの言葉だった、ということは、頭ごなしに否定するのではなく、一人の人間として向き合ってくれているという実感がありました。


家族といえ、決して完全に分かり合えることがない人間同士なのだと、自分はつねづね思っています。外専の姉を理解できないし、ヘテロの他の兄弟も理解できない。でも理解できないからそれでいい、というわけではなくて、こういう考えがある、と認め合う、分かりたいと思うのが家族です。


僕は、将来において家庭(ヘテロの)を作らないことをセンチメンタルに結びつけることが理解できない人間なので、母親がいう「女の人と結婚して普通の家庭を持ってほしい」「子供がみたい」という望みが、感情的に理解できません。それでも好きな人と長く関係を持ちたい、という気持ちを持っています。そこは双方で共有できるポイントだと思います。

ただ、現時点としては、ゲイ同士が長い関係を持てるための法的な保護、いわゆる同性婚もパートナーシップ制度もないので、社会通念としてイメージしにくい、という問題があります。実際、「セクシャルマイノリティが身近にいる」なんて、たいていの人は知りませんし。テレビの中のオネエタレントしか知らないのが現実です。ほんとどんだけー(死語)ですよ。

なので、さあ、これからどうしていこうか? ってといろいろと。先はまだまだ見えませんが、ゲイとして生きることを選んだことで、家族も巻き込んだ形です。


ゲイで、自分の恋人が死んだのに、向こうの親は自分のこと知らなくて、病院にも葬式にも行けなかった……なんて話、体験したくないですし、友達にもこれからの人たちのためにも、もうこんな想いはしてもらいたくないですし。そういうときがこないために、まずは家族にカミングアウトしてて関係性を作っておかねばと思うんですよ。それに、親の期待や愛情、そしてその裏返しの感情など、カミングアウトしたときに吹き出してくるものを知っておいた方が、今後の人生にも対処して応用できるような気がします。


今では、家族にはカミングアウトしています。友達はまだ選んでますが、おいおいしていくつもりです。仕事上は、こんなブログやってるくらいだから、地味にやってます。

いろいろ考えたすえ、今のところ僕が得たカミングアウトのモデルは、
「『中学生の自分』が、『今の自分』を見て恥じないようにする」です。

もう細かいことは忘れちゃったけれど、ゲイってことで悩んでたり、死にたいほど絶望してたことも過去にはあったわけで、もし、そのときの自分が、過去から今の自分を見ていたとしたら、「こんな人もいてちゃんとやってるんだ、よし、俺もがんばろう」って思ってくれるのかどうか。嫌な気持ちになることもなきにしもあらずなんですが、たとえば妹のゲイの友達が、ゲイって自己主張してくれたおかげで、俺に人知れず勇気をくれたみたいに、巡り巡って誰かを救うはずだから。それは本当に実感しています。
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by bogdog | 2008-09-20 04:40 | ゲイ・オカマ・クイァーなネタ
ちょう久しぶり。ジン太です。生きてます。
2008年9月14日、札幌で行われたゲイパレード、レンボーマーチ札幌に行って来ました。

札幌って初めて行ったんですけど、いいですね。
建物が低いのと、太陽高度が低いのか日差しがまぶしい! 江古田ちゃんにもあったけど手で目を隠して歩いてる人がいて本当に素人投稿写真みたいでカルチャーショック!

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すごくよくとれた一枚

札幌の公園から、ぐるりと40分くらいかけて車道をあるくんですが、ちょうど天気もすごくよくて、青い空に色とりどりの風船、そしてフロートの上のGOGOと女装という組み合わせがなんとも綺麗でした。レインボー発信! つーかんじで。


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札幌パレード名物、親の会によるおにぎり。
おかあさんたちはすごくいい人たちばっかりでした。

俺は聞き損ねちゃったんだけど、あとで「親の会カフェ」で、お母さんの一人が亡くなった息子が書いた手紙を朗読したらしく、それを聞いたブルボンヌさんが感動していました。親との関係はやっぱり大切だな…。

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前夜祭での1コマ。
ブルボンヌ&サセコによる、ゲイ用語解説。
「趣味女」「トロマン」「足有り場所なし」などを解説。

札幌の女装さんはみんなお笑い色が強くて楽しかったです。
ボボ・フジツボさんの、アリエルのショーとか魔女の宅急便のショーとか、ファンタジーとエロスと笑いが絡んでいいショーでした!

あーいつか女装だけ集めて日本大会とかできないかなあ。みうらじゅんのゆるキャラ祭みたいな感じで。DVDとか公式グッツとかも売って。ゲイとサブカルと女装好きのノンケとお笑い好きの層をターゲットにして、3万冊は堅いんじゃないでしょうか。ショーに使う音源とか著作権の問題をクリアすれば、あとはなんとかなりそう。


札幌の実行委員は、みんな若い子ばっかりで、そんなのもすごいなって思った。
そういうことができるエネルギーって、やっぱりうらやましい。
今後の自分がどうゲイとして生きて行くのかということも、あらためて考えさせられました。また行きたいなあ。札幌。
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by bogdog | 2008-09-19 09:30 | ゲイ・オカマ・クイァーなネタ