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ライター・藤丸心太(ふじまるじんた)のブログ。本の感想とかゲイネタとか創作系など。お仕事依頼などはメールで。リンク・TB自由。コメントは承認制。fujimarujintaあっとgmail.com (あっとを@に変更)


by bogdog
瀧波ユカリ氏(「江古田ちゃん」)オススメの「花びら日記」「奈々子の青春」(西谷祥子)_c0139007_11221441.jpg


「臨死!!江古田ちゃん」の瀧波ユカリ氏が、ゲイ雑誌「badi」のインタビューで、自身のルーツの漫画のひとつとして揚げていた作品です。(って、インタビューしたの俺だが)

この作品が、雑誌で発表されたのは、68年〜69年。
24年組よりもうちょっと前。

とにかく文字量・台詞の多さに驚いた! 漫画というよりは、まるで小説みたい。

幼なじみのゴクロー君とか、憧れのアポロとか(このあたりのネーミングセンスが昔っぽい)、トーフの君とか、そんなに美人じゃない奈々子にみんな好意を抱くところなんて、ハーレムな感じが少女漫画っぽいんだけど、ただのハーレムものじゃなくて、奈々子の姉2人の恋、親友エクボの壮絶な恋愛など、恋することと、女性の自立や行く末なども、フォーカスしているのがよかった。

いまや時代が変わってしまったのか、高校生が真剣に悩んで世界と関わっていることを、「セカイ系」で戦うべき対象ぼかしてしまったり、「萌え」で黙殺しまっているけれど、(「よ◯ばと」とか。もっと子供はいろいろ考えてるだろう)

江古田ちゃんが書きたいものも、普段みんなが見過ごしているけれど、でもしっかりみんな持っている心の動きなんだろうか…と、江古田ちゃんのルーツに触れられてよかった。


心に残ったシーン。
「奈々子の青春」で、真面目で優等生だった仲良しグループの「オメガ」が、突然テレビに出て男女交際について真剣に語りだす(「真剣しゃべり場10代」みたいな討論番組)。偶然テレビを見ていた奈々子は、変わってしまったオメガにショックを受ける。そのとき、芸能人になるために学校をやめた「コケシ」から電話がかかってくる。



「勝手かもしれないけどさ 私がいくら変わっても あんたたちだけは変わらずにいてくれる その安心感があたしを力づけてくれたの あんたたちは私の分身だったのよ
(略)
あたしは変わってくまわりはみんな敵ばっかりの世界で一日一日は確実に変わっていくわ でも…でも…オメガや奈々子が昔のままでいてくれると思って…」

「ムリだわ…それはムリなのよ 一日一日は……だれにとっても新しい日なのよ…きのうああだったからって きょうもそうだとは…」

(そうなんだ 一日一日の積み重ねが次の日また次の日の私たちを作っていく ある日突然変化が起こっても それはその日1日からきたものではなく その日までの日数がつみ上げてきたものが突然表にでただけなんだ 次第に確実にひとりの人間がつくられていく時 それはもう他人のタッチすべき……いや しうる問題じゃないひとりひとり迎える一日は中身が違うはずだから)

「奈々子の青春(リニュ−アル復刻版)」西谷祥子 小学館 p161〜162より抜粋


大人になれば、あたりまえだと気がつくこと。そんなどうしようもないことに苦しみながら、ひとつひとつ痛みを乗り越えて大人になっていく。恋愛でも才能でもなくても、日常を生きる事がひとつのドラマであり、そのまま青春であって、きらきらと咲いている花みたいに尊いものなんだ、とほんと何気ない1pで気がつかされました。


抜き出してわかったけど、この長台詞、4コマに収まってるんだよね。すげえな……最近の漫画だったら、これだけで8Pくらい使いそうです。よしながふみだって台詞が長いと言われるけど、これに比べたら……

瀧波ユカリ氏(「江古田ちゃん」)オススメの「花びら日記」「奈々子の青春」(西谷祥子)_c0139007_11314190.jpg

おまけ デビィ夫人が若かった!
# by bogdog | 2008-07-14 11:23 | この漫画がスゴい!
シェークスピアと僕の夢(ネタバレあり)_c0139007_1221921.jpg

東京国際レズビアン&ゲイ映画祭のオープニング作品「シェークスピアと僕の夢」を見に、バルト9までいってきた。実は映画祭初参加っす。


映画が始まる前に、人気gogoボーイ2人とドラッグ1人、そして監督とプロデューサーで挨拶。普段、gogoボーイが出てくるようなクラブ(AgeHaとか)に行かないから久しく忘れていたけれど、このgogoボーイの筋肉の作り物っぽい感じ、なんだかいいねー。gogoボーイは無駄に筋肉を露出させとけばいい。gogoボーイはライトセイバーを持って戦士風だったんだけど、映画のテーマにあわせて妖精風だったらもっと統一感があったんじゃなかったかしらん。


で、映画なんだけど、シェークスピアの「真夏の夜の夢」を下敷きにした作品で、田舎の高校生でゲイってことで虐められていた主人公のティモシーが、古典の授業で「真夏の夜の夢」を演じることになって、それで偶然、媚薬を見つけてしまい、意中の男の子を媚薬で虜にして、さらに町中にばらまいてゲイフレンドリーにする……という話。

ミュージカルなので、突然踊ったりするんだけど、なんかそこらへんもいい具合に笑えて切なくてよかった。

媚薬を使うと、みんなシェークスピア風に恋愛モードになるとか、なかなかおもしろい。俺のほうが好きだ!よし、決闘だ!なんて、一度はあこがれる、喧嘩をやめて・2人を止めて状態になったりするのも楽しい。

妖精ピクシーよろしく、人の恋愛感情を操って、引っ掻き回すティモシーだけど、ラストは「真夏の夜の夢」の舞台で、みんな元通りになることを望むのね。

それで、最後に楽屋でメイクを落としていたら、いきなり相手役の人が出て来て、後ろからキス。君まさかまだ媚薬の効果が…。真実の愛に目覚めたんだよ!

甘い!
この甘いラストも、ボーイズラブっぽくて腐女子的にはあがる!

あと、古典の先生がテニスの王子様の監督ばりのおばあさんでよいです。そこらへんもポイントアップ。


個人的にいいなと思ったのは、ティモシーの相手役のラガーマンが鬼かわいい。ティモシーが背が高い(190以上くらい?)で、この相手役の人が170代くらい?で、身長差があって萌えた。あと、ロビン・ウィリアムズの娘が主人公の友達役で出てるんだけど、ギターを弾くパンクな女の子役で、歌も演技もうまくてかわいかった。映画公開後の監督&プロデューサーインタビューで、映画自体は低予算(1万ドルとか言ってた。翻訳ミスか聞き間違いでなければ100万円ってこと?)で、主演の2人はゲイなんだけど、それ以外はやっぱり男同士のキスシーンには抵抗があるそうなのね。で、そこであのロビン・ウィリアムズの娘が、「私たちは、映画としての話がいいから役者も参加してるんでしょ、そういうのもちゃんとやらなくちゃダメよ!」というようなことを言ったので、主演2人以外のキスシーンも実現したと。(正直いって、主演以外はそんなにかわいくないんだけど)やるじゃん、ロビン・ウィリアムズの娘!

ストーリーもよかったし、少なくとも日本ではそこそこの収入を望めると思うんだけど……(腐女子などに)これって一般配給されないのかな?
# by bogdog | 2008-07-12 12:22 | 映画

ドリーミング

自分のための、ドリーミング関連抜き書き。
山口大学人文学部の宗教学研究室のWebサイトから。

====== アボリジニの芸術・社会・文化から見る宗教(1) ======

2.ドリームタイム

○世界創造の時代/夢見。19世紀に、主に西洋の人類学者が、アボリジニの諸言語の間で使われていた類似する概念を翻訳しようとして用いられるようになった語。

○創世神話。先祖(人、動物、超自然的な力をもつ存在、曖昧な存在)による世界の創造。「先祖は不毛な未分化の野原を横切るように移動/旅しながら世界を構築した」。「先祖は旅に出る前に、翌日の冒険や出来事について夢を見た」。「先祖は夢を行動に移しながらあらゆる自然物、人間、部族、氏族、動物、植物を生み出した」。「これらの存在は互いに入れ代わることができる」。

○「過去の物語」ではない。直線的な時間/歴史的過程として解釈されるのではなく、現実の次元を指す(今を基礎づける、終わりのない物語)。

○ドリームタイムはアボリジニの住む空間と永遠に結びつく。ドリームタイムは居住地を基礎づける/形作る/活かす。居住空間と地形は、ドリームタイムとの結びつきを保った存在である(結びつきあっての存在)。

○アボリジニの生活は、旅と野営をしながら、その時々とその空間がドリームタイムの物語を反映する。ドリームタイムは、従うものではなく、実現するものである。先祖が見て実現した夢を、今も、永遠に、アボリジニが見て実現する。

○ドリームタイムは「進歩」「進化」を想定しない。アボリジニには元々時間という概念は知られておらず、「去った時間」(過去)も「来る時間」(未来)も存在しない。ドリームタイムは、過去から未来へ向かう運動ではない。そこには時間的な経過も、歴史も、時間の距離/幅/間隔も、存在しない。あるのは、夢の世界と現実の世界を結びつけるもの、すなわち、主観的状態から客観的状態への表現/実現であり、つまり内面と外面にまたがって起こる物事や出来事の移り変わりのみである。

○同じように、空間も、距離・幅・間隔として捉えられることはなく、意識と無意識の関係として捉えられる。空間にある知覚可能な実在は意識に相当し、対象間に存在する見えない空間は無意識(=夢/睡眠/死/観的状態、つまりはドリームタイム)に相当する。

○ドリームタイム/神話による、<無限の>時間と空間の不均質化/聖化/聖別。心的表現としての「無限の時間」と「無限の空間」の構造化/持続化。

○アボリジニにとっての芸術は、ドリームタイムの手段でもある。この場合のドリームタイムは、心の内面的世界であると同時に、生に対する、外的な大枠の文脈である。

○芸術は、時空間における人間(自分たち)の位置づけである。生活世界/時空間の不均質化/聖化/聖別。

○また芸術は、トーテミズムの表現/実現である(年齢、性別、トーテムの系列、部族・氏族関係、など)。

======アボリジニの芸術・社会・文化から見る宗教(2) ======

2.アボリジニにおける宗教=芸術の諸側面

【全般】

○岩壁画(ロック・ペインティング/ロック・アート)、樹皮画(キャンバス画)、儀礼/ダンス/ボディー・ペインティング。

○ドリームタイムの世界観の現れ(復元、実践、維持)。

○ドリームタイムの主役や霊たちを作品に宿らせ、動物・自然・先祖の霊を引き出すこと。そして同時に自らも主役・主人公になりきること。過去という時間、見えない霊界、祖先のすべてが、一体化し、連続するものとして演じられる(→ 精霊「ミミ」)。

○呪術(感染/近接、模倣/類似、シンボル)。夢/希望/願いと現実の媒体。

○白人による侵入の実態と歴史。

○心の表現の手段(心にある多様なありさま)。ただし、どれも生活にとって究極的・包括的な位置と意味をもつ。きわめて宗教性の濃い/宗教的な芸術。

○芸術の過程の中で、素材や場所が同時に神聖性を帯びている。

【トーテム性/トーテミズム】

○「トーテムの風景」、地図/見取り図、図案(→ 北米インディアンにおけるトーテム・ポール)。土地または居住している世界の構築。

○鳥瞰図:空中から地上を見下ろした図。

○しかしその一方で、シンボル/記号<体系>による表現を重視する。観念世界(動物・自然・祖先のすべてを含むドリームタイム)の表現。あたかも地理的な関係、比率、相対的な位置/方向のすべてが無視される。抽象化。

○⇒ この場合の絵画は言語の役割をも担う。

○動物を描く際のレントゲン手法(主に岸壁画)。

○動物を真似る踊り。自然と動物と自分たちを同じ文脈に位置付ける際の、自然・動物の様式の採用。

○⇒ 単に動物と自然の構造化ではなく、見えない世界/霊界による枠組みの再確認。

【二次元性と無時間性/超時間性】

○ドリームタイムを純粋に表現するならば、現代人のように時空間の存在性を明確に構造化することはできない。

○芸術作品が、自分たちの存在のみならず、自然・動物と見えない世界/霊界も含むならば、地上/この世の字空間に固定することはできない。

○⇒ 世界宗教における時間観と比較。

【現代アボリジニの子供に引き継がれるU字型シンボル】

○「U字型」とは? U字型は、何かを表現する絵として、線として、シンボルとして、多様に用いられる。踊るときのボディー・ペインティング(胸の図柄)として用いられる。全体の模様は、一族の土地を象徴する面がある。大人が物語りを語るときにも用いられる。画家のキャンバス画にも見られる(→ メルボルンの国立ビクトリア美術館の絵)。

○U字型はアボリジニの視覚言語/記号である。

○芸術と生活(つまり宗教)が一体となった暮らしの中で子供たちは、自然に親や大人から記号の意味を理解する。

○U字は、重要な儀式に参列する人々(女性)を表す。大きなU字は、重要な地位にある女性たち。黒と赤の円は、重要な儀式が行われている場所を示す。

○上から見た(空から眺めた)様子を記号化したもの。

○ただし単一に解釈できない。状況に応じて、違った事柄を象徴する。くねった線が、川や蛇を示す場合もある。円は、井戸、野営地、焚き火を表す場合がある。また、色調や色合いには、自然(たとえば砂漠の雰囲気など)の様子が用いられる。

○現代アボリジニの子供たちの、二重記号(独自の文化と西洋文化)。

○⇒ ドリームタイムの表現。記号の意味の可変性。二次元性。

====== アボリジニの芸術・社会・文化から見る宗教(3) ======

1.「ドリーミング芸術」

【ドリーミングと芸術の結びつき】

○ドリーミングの中身は「自然」「性」「死」に関する。

○祖先が創造した土地、動植物、人間関係(親族・男女関係など)に、またその創造過程(旅、狩り、芸術活動など)に、積極的に参与すること。

○「過去との連続性を維持する」という<積極的な>美術・芸術の創造過程。→ アボリジニがドリーミング<の存続>に対して担う義務。

○ドリーミングとの双方向的な関係。その中で、ドリームタイムという現実は、変化する。→ 親族関係と土地/地形。「自然界・動植物」「人間・社会」「死者・祖先・霊界」の再構築。

○ドリーミングに依拠する芸術(また宗教)は、過去のものではなく、現在に属するものである。

【ドリーミングと無意識】

○「アボリジニに言わせれば、ドリームタイムの創造とは、この世に歌い出された世界なのだ。人類も当初は、意識の主観的なエネルギー状態として存在する。夢、直感、そして思考は、振子のように揺れながら、外界を対象化してゆく。物質の創造や活動に参加するようになると、意識の振子は一転して、客観的実在から主観的状態へと振り戻される。『記憶』という名のこの振り戻しによって、森羅万象の残りの土台が生み出されるのである。」(p.62)

○「アボリジニの諸言語には、『時間』に当たる言葉がない。アボリジニには、『時間』という概念がないのである。アボリジニの言う『創造』では、時間の経過や歴史は、過去から未来への運動ではなく、主観的状態から客観的状態への移りゆきを意味する。アボリジニの世界に参入するための第一歩は、西欧社会の伝統ともいうべき抽象的時間概念を捨て去ることである。その代わりに、『夢見から実在が生じる』とする意識の運動モデルを想定すれば、創造プロセスに見られる宇宙規模の作用にも納得がゆく。アボリジニが毎日のように披露する儀礼の舞や歌謡は、『世界創造の要』だった主観から客観にいたる運動を祝うためのものだ。こうした発想は、日常生活の隅々にまで浸透している。アボリジニは今でも、狩りの前夜には一睡もしない。眠っている飼犬の様子を注意深く観察するためである。夢を見ている飼犬が吠えたり、唸ったりすれば、獲物を捕まえた夢を見ているという証拠である。だからその犬は、翌日の狩りのお供に選ばれるのだ。」(p.64)

○森羅万象(すべて)に、ドリーミング(夢見)がある。

○「土地や動植物を何らかの目的で利用したり、食べたりする場合にはまず、土地や動植物の夢見に入り込む術を身につけねばならない。」

○空間(「時間」も)は距離/感覚/幅ではなく、意識の世界である。意識同様、二つのモードに分けられる。空間内にある知覚可能な実在は意識に相当し、対象間に存在する肉眼では見えない空間は、無意識に当たる。

○「『無意識』とは、夢見という連続体の一部なのだ。西欧文化では、無意識が現れて活動するのは明らかに、睡眠中や夢を見ている場合のみとされている。アボリジニの言う無意識とは、常に存在し、存在のあらゆるレヴエルに浸透している。それはちょうど、肉眼では捉えられない空間が、銀河から原子の内部にいたるまでの森羅万象を満たしているようなものだ。意識とはまさに、森羅万象そのものといえるだろう。それは、覚醒と睡眠、生と死のあいだで出現と消滅を繰り返しているのである。」(p.68)
# by bogdog | 2008-07-09 09:52 | 日々のことば

予想外なり神保町

編集さんと神保町をロケハン(一般的な言い方かわかんないけど、情報誌系で、実際に歩いてネタ探しするときによくいう言い方)してきました。

神保町をどう切るか、という話で、「ゆるエロ」にしよう、と編集さんが言ったのがうけた。ゆるエロ…なんだかいろいろ ゆるいアレみたいな物言いだ! 

明治大学博物館にあるアイアンメイデンも見れた。
古本屋もところどころ廻れてよかったー。古本屋はいいですね。

本はまあ予想通りなんだけど、食べ物に関しては予想外でした…

「カロリー」で、カツカレーを食ったら、意外と酸っぱい!
「さぼうる」で、ミルクセーキを飲んだら、意外と甘くない!
「フォリオ」で、コーヒーゼリーを食べたら、ちょっとどうかと思うくらい苦い!

さすが大人の街、神保町…! でもおいしかったです。

あと、園芸店の
「植物図鑑(タキイの種)」に、ドラゴンフルーツの苗が売ってましたよ! 白と桃を2苗づつ買いました。これで4色揃った……! 

神保町散策は、こちらのmapを全面的に参考にさせてもらいました。
おさんぽ神保町のみなさん、どうもありがとう!
# by bogdog | 2008-07-05 13:34 | 日々のことば

母と子

母と子_c0139007_21373835.jpg

猛獣の檻
街猫ファイル・R8・近所

野良猫が子を産んだ。ぼろぼろの古着みたいな子だったので、ひょっとしたらもう長くないかもしれない。近づくと、母猫が緊張に体を強ばらせるのが分かる。
この猫のまなざしはなんだろう。子を守る母。威嚇。敵意。

この猫に、ただ愛されたいと思った私は、偽善者かそうでなければ愚か者だ。
# by bogdog | 2008-07-01 21:45 | 街猫ファイル